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サンアンジェロ(、)は、アメリカ合衆国テキサス州トムグリーン郡中央部西に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。2010年の国勢調査では人口95,887人だった。サンアンジェロはサンアンジェロ大都市圏の主要都市かつ中心である。都市圏人口は111,823人である。 市内にはアンジェロ州立大学、歴史あるコンチョ砦、グッドフェロー空軍基地がある。 サンアンジェロのニックネームには、「アンジェロ」、「川の都市」、「コンチョ都市」、「コンチョの真珠」、西テキサスのオアシス」などがある〔"San Angelo, Texas" 〕。 == 歴史 == サンアンジェロとなった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前、ジュマノ族インディアンが住んでいた。その数千年前から先住民族の様々な文化が引き継がれて来ていた。1632年、スペインの後押しでフランシスコ会の伝道所が作られ、インディアンへの布教を行ったが、短命に終わった〔Marilyn H. Fedewa, "Jumanos Indians still revere Lady in Blue" , Cambridge Connections〕。この宣教師団はフアン・デ・サラスとフアン・デ・オルテガが率いており、オルテガが6か月間滞在した。1650年にはカスティリョ・マルタン遠征隊、1654年にはディエゴ・デ・グアダラハラ遠征隊が入ってきた。 現在のサンアンジェロ市は、アメリカ合衆国がフロンティアを敵対者の脅威から守るために構築した一連の砦の1つであるコンチョ砦を建設した1867年に、ヨーロッパ系アメリカ人が設立した。この砦には騎兵、歩兵が入り、またインディアンによって名付けられたアフリカ系アメリカ人で構成された騎兵連隊ブラック・カルバリー、別名バッファロー・ソルジャーズが入った。 開拓者のバーソロミュー・J・デウィットが砦の外、コンチョ川の南北支流が合流するところにサンタアンジェラの村を設立した。デウィットはこの村を妻のカロライナ・アンジェラに因んで名付けた。その名称がその後サンアンジェラに変えられた。さらに1883年、アメリカ合衆国郵便公社がこの名前はスペイン語の文法で間違いだと主張し、サンアンジェロに変えられた。この町は地域の農夫や開拓者の交易中心となり、またブロテル、酒場、賭博場ができて無法者の町になった。 サンアンジェロはトムグリーン郡の郡庁所在地に指定された後、1880年代に急速に成長した。これには新しく建設された鉄道の沿線にあったことも貢献した。地域交通の中心になった。1888年にサンタフェ鉄道が開通し、1909年にはカンザスシティ・メキシコ・アンド・オリエント鉄道が開通した。1900年初期に国内で肺結核が流行し、多くの患者がサンアンジェロに移ってきた。当時の医者は、乾燥し暖かい気候の場所で療養することを推奨できるだけだった。結核患者は治療のためにサンアンジェロに来た。 1928年、市は地域初の高等教育機関であるサンアンジェロ・カレッジを設立した。テキサス州議会からは、後にテキサス工科大学となるものの立地に選ばれなかった。初の市立大学であるサンアンジェロ・カレッジは後にアンジェロ州立大学になった。第二次世界大戦のとき、グッドフェロー空軍基地が設立され、操縦士の訓練を行った。1900年代、地域で大量の石油が発見され、その石油ブームで市は飛躍的に発展し、石油・ガス産業の中心地になった〔〔"History" , San Angelo〕。 サンアンジェロ独立教育学区は1955年に自発的に人種統合を果たし、テキサス州では最初期の統合となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンアンジェロ (テキサス州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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